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 ミーさん作品 特別作品 ■ミーの半生記『第2章 爛熟の性』(その1)                               Back Top Next

ミーの半生記】
先ず これは小説ではありません、私の歩いてきた半生の出来事を忠実に書き現したものです。
この体験記を投稿する気持ちになったのは、
私の露出趣味によるものですが、事実は小説よりも奇なりの言葉通りの性体験を何かに残したいとの思いが強く迷った挙げ句投稿するに至ったものです。
文中名前や場所は現実に存在するので仮名を使いました。どうかその辺の事情を察してお許し下さい。

『第2章 爛熟の性』(その1)


(その1)

第2章では 私の結婚を機に壮年期に妻と行った男漁りの告白記を描写したものになります。


父が愛人と別れてからは、父と行った凄まじくおどろおどろした、爛れた肉欲関係のプレーの一つ一つが昼も夜も浮かんでは消えて私の心を悩ませ続けた。

もう二度と父の痴態が見られないと思うと、悲しくてしかたがなかった。
その悲しみを忘れたい… 
その気持ちが、坂を転がるように父に似た男とその相棒とのホモプレーに溺れていったようです。

父はそんな私をそれとなく観察していたようで、何時しかホモプレーにのめり込んでいる私に気がつき、心配でならなかったのでしょう。大事に至らない内になんとかしょうとして結婚を早めた節があった。

父と離れることが心残りだったが、心配顔の父を見るほうがもっと辛かった。
考えた末、男達と別れて結婚する道を選択した。
父を安心させたかった。

ここで、結婚までの時代背景を参考までに簡単に現わすと、以下のようになります。

昭和34年 高校卒業 …戦後初の鍋底景気と呼称された不景気で就職できず。
昭和35年 池田内閣による所得倍増計画発表…高校卒業後2年間、転々と職業を替える。
この時期は生きることに懸命で、実に7つも職業を替える。

昭和36年 S製鉄会社に就職。
昭和39年 東京オリンピック開催。
田中内閣の列島改造論が紙面を賑やかし、空前の好景気の時代に入る。

昭和42年 結婚

昭和42年6月 私は現住所のY市で結婚式を挙げた。

父の知人から見合い話があって、3度逢った後にバタバタと結婚となってしまったのです。
私は、父が奨めるので何の抵抗もなく二つ返事で受けた。父の云うことは絶対でした。
妻は当時23歳 丸顔で愛嬌のある顔でその点では満足できた。
親一人子一人ということで私が妻方のほうに入ることになった。

結婚を機に、私は父から完全に自立できたが、そのことで私の中で眠っていた一つの性癖を呼び覚ますこととなる。

それまでに私の心の中に露出願望があるとは全く認識していませんでした。むしろ、自分の恥ずかしい行為を人に見られることを躊躇うことのほうが多かった。
ここでも人間の運命の不思議さを感じざるを得ません。心の中には幾つもの願望が眠っている現れでしょう。

キッカケがそれまでとは別の人間を作り出すことになるのです。
出発点で踏み違えた人間の運命の歯車はそう簡単には治まらないようになっているのですね。

私達夫婦が露出趣味になった過程で、どうしても書いておかなければならない男(故 当時52歳)がいます。
その男のことから初めることにします。

結婚後5年間は平凡で幸せだった。今振り返ると、私の人生の中で最も安穏で又刺激のない時期であった。
妻と妻の母との同居はとても居心地の良いもので、これが普通の家庭なんだとしみじみ思ったものです。只、子供が産まれなかったことが唯一の気がかりでした。  

一変したのは私が32歳になった5月だと記憶している。
夜7時ごろ、突然、その男が訪ねてきた。
男は会うなり、いきなり金を返してくれと言って借用証文を突き付けてきた。
見ると、妻の名前と百万円が書かれてあり、今日今すぐに返してくれと催促された。

妻が私に内緒で友人の連帯保証人になってしまい、その友人が蒸発したことが騒ぎを起こした。
私の驚愕と妻への怒り、葛藤その間の事情は本題から外れるので想像していただくことにして、結局ある所で話し会うと、男が無理矢理に車に私と妻を乗せて、連れていかれたのが市内の暴力団の組事務所でした。

そこでの話し会いは大変なものでした。
私がどんなに待って欲しいと懇願しても、駄目で途方に呉れていた。
やおら それを待っていたように男が、アルバイトを切り出してきた。
かいつまむと、ある人が他人のセックスを見たがっていて、そこで1回2万円でオメコするとこを見せんか、とのことだった。

本当にビックリした。が、これ以外に逃げることが出来なく、結局、承知させられる羽目になった。
今では考えられないが、当時の暴力団は平気でこんな事をしていた。

その場で車に乗せられ、着いた所はK市のK駅南口近くの「T荘」というホテルでした。
入ると、風呂場に連れていかれ、夫婦で風呂に入った。
驚いたことに直ぐ後から男も素っ裸で入ってきた。  

その時に男のチンポを初めて見た。
大きなチンポで、ずんぐりの身体にチンポだけが際だって見えた。  

風呂を上がって服を着ようしたら、見あたらない。
男に訊くと、帰る時に渡すという。
たぶん、私達が逃げることを用心したんだと思う。
男も素っ裸のまま3人である部屋に入った。途端、又々ビックリした。
部屋の中に、男女30〜40人はいたと思う。
そうなんです。
私達は騙されたのです。

部屋の真ん中に回転式のベットがあり、そこに上がらせられ、なんと、いきなり、妻に50歳くらいの男が抱きついた。
呆然としていると、暴力団の男(以後Yと書きます)がいきなり私のチンポを銜えたのです。 

もう驚きの連続で、頭が真っ白になった。
後で分かったが「T荘」で定期的に開かれていた、乱交、スワップ、レズ、ホモ等何でもありの秘密パーティだったのです。
その日の会員にはまったくの素人の夫婦を連れて来ると知らせていたそうで、暴力団の資金集めに利用されたのです。

妻を犯した男も、暴力団の男(以後M)で、それからの時間は苦痛と悦楽とが入り交じった形容しようもないものでした。

横で妻が男から犯されている姿をみながら、私はYに尺八され、その周りを男女が取り囲み、見られるなど生まれて初めてで、羞恥と驚きで目を開けられなかった。

妻も同じだったでしょう。
部屋の中の男女はアイマスクの様なものを着けていたが、全員ガウンを羽織っている。
その注視の中、妻とM、私とYの変態プレーが時間にして30分程度続いたのです。

たぶん 時間の短い事で奇異に思われるでしょう。
これも後で知ったことですが、私達はその場の雰囲気を卑猥に盛り上げれば良いことで、会員同士であちこちのプレーが始まれば用済みなんです。 

もちろんそんな事は全く分からなく、ただ、Yのすることに一生懸命従って、早く終わって欲しいと思うだけでした。

妻がどんなことになっているか見る余裕もなく、Yと69したり言われるままにYのアナルにチンポを入れて呻きながら腰を使っていた。  
堪らなくなってYに「イキそうだ」問うたのは覚えている。
Yがどう答えたかよくわからないが、その後、私が声を出してアナルの中に噴射した。

周りで「オー」とか何か声がしたが、そのままの姿勢でじっとしていたら、その時になってやっと妻の喘ぎ声に気がついた。
妻もMから激しく攻められて、たまらないように喘いでいる。

それまで妻がこれほどの声を出した記憶がない(後年 露出セックスの妻の片鱗を見たようです) 
その後、Yは私にYのチンポを尺八させた。間なしにYは私の頭を押さえつけて射精した。  

Yが噴射したら、それが合図のように、妻を責めていたMも大きな声を出して射精した。
Mが妻のオメコからチンポを抜いたらドロドロ白い精液が流れ出るのが見えた。
妻は放心したようにジットしていた。

周りの男女が散って、それぞれ、あちこちでプレーを初めたので、Yは私に「もうええで」と言って風呂に誘った。

再び4人で風呂に入ったが、さすがに私も腹が立ってきた。
服を着てYの車に乗るまで口をきかなかった。
帰りの車の中で、Yが謝っても黙殺したが、Yは「約束だから月に一回パーティーに出てもらうで」そのかわり私の借金は全部俺が払ってやると言った。

当時、家のローンで2百万以上の借金が有ったが、そんなことまで知っていて、また、Yが本当に借金を返してくれたので正直驚き、恐ろしくなったものです。


その後3年間。Yが死ぬまで、パーティに行くことを強要された。
慣れるに従って、見られながらのセックスに快感を感じるようになっていった。
つき合ってみると、Yは小悪党ですが、いい所もあり、夫婦にとって憎むべきなんですが、今は許してもいいと思う時もある。   

3年後、Yが急死してから私達夫婦は悪夢から解放された。組も同時に解散したので妻と泣きながら喜んだものです。  
Yの死因は心臓発作とのことです。
只、この3年の出来事が私達夫婦のその後の人生を変えることになったと思っている。

Yと関係を持つようになってから、実はパーティーに参加するだけではなかった。 
現実はそんなに甘くはなかった。

初めてパーティーに行ってから4日目に再び組事務所に呼び出された。
そこで、私の借金を全部返済したからと、ローンの借用書を見せてくれた。  

ビックリして黙っていると、そこで、と言ってまたも切り出してきた。
私達夫婦が未だパーティーでの演技がぎこちないので、何度も練習せないかん、いいかとのことだった。
無理矢理とはいえ、あんなことをしてただでは済まないと考えていた。
やはり、心配したことが現実のものとなり、私は身震いした。本当に怖かった。
これからの私達夫婦の行く末にとてつもない不安を感じた。罠に落ちたと思った。もの凄い抵抗が有ったけど、もういいなりになるより方法がなかった。  

2日後の夜10時に迎えに来ることで帰してくれたが、2日間は全く落ち着けなかった。
2日後、約束通りYが車で迎えに来た。
車には先日のMが乗っていたので「アー またこの前と同じか」と心が沈んだ。 

Mはつき合うようになって分かったが、ヤクザとは思えないほど実直で、Yとホモ関係があり(ヤクザはホモが多いんですよ)お人良しで私達夫婦に随分親切でした。

車は市内の「ルイ」というモーテルに入った。(そのご何度もここを利用することになる)4人で風呂に入り、Yは演技指導とか訳の分からないことを云ってから、同じように私のチンポを銜えた。
Mも妻に抱きついた。

イヤイヤでも気持ちがいいとチンポは勃つんですね。2組で暫くプレーが続いたが、前回と違って途中で男が入れ替わりYと妻、Mと私になった。  
MもYほどじゃないが、結構太いチンポをしている。
何回かチェンジしながら、男が全員射精した頃、妻は半失神の状態になっいた。  

2時間以上だから当たり前ですよね。
それで解放してくれたが、以後週1回(2回の時もあった)のペースで遊ぶ?ことになった。

ずるずると深みにはまっていく自分達が情けなく、不安でしょうがなかったが、一方で味わったことのない悦楽に快感を感じるようにもなった。  
人間一度味を占めたら恋しくなるのでしょう。Yが急死した後、安心すると同時に段々と落ち着かなくなり、結局露出プレーに走るようになっていったのです。

Yとの3年間に、全く周りに気づかれなかったか気になるでしょうね。  
そうです、一部の人たちには感づかれていたのです。只、変態的な肉体関係やパーティーの事は知られなかったのですが、ヤクザとつき合っているということで、友人から注意をうけたり、陰口されたりした。
特に、町内の人が遠ざかるようになったのが一番堪えた。

家を売ってどこか引っ越しも考えたが、出来なかった。
あれから25年経って、今は町内の人も忘れてしまったようで、普通につき合ってくれている。



『第2章爛熟の性](その2)へ続く  


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