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軍隊で行われた生殖器検査とは  
  徹雄さん                         Back Top Next

軍隊で行われた生殖器検査とは  
 私は昭和24年生まれで、軍隊はもちろん、その他の機会でもM検などというものは一度も受けた事はありません。しかし20歳の頃(もう今から30年以上前になります)に徴兵検査という言葉を知り、M検に興味を持つようになりました。
 私が生まれる4年前までの、かつての日本では徴兵検査でM検という触診をしている事を初めて知ったときには、頭が白くなるほどの衝撃を受けました。
当時の私は羞恥心が強く、集団の中で性器を見せるなどと言う事は考えることもできない程恥ずかしい事でした。しかし、恥ずかしさと同時に、むりやり恥ずかしい事をされると考えるだけで興奮するという複雑な気持ちも持っていました。

それからいろいろ調べたり、人の話を聞くうちに、
・その触診が閉ざされた部屋の中でそっと行われるのでなく衆人環視のなか、
 性器をいじりまわされるとか、
・そこには割烹着姿の国防婦人会の女性もいて性器検査を注視しているとか
・軍隊では事あるごとに裸にされ、毎月M検を行われるとか
・入営した翌日から姿勢矯正として越中褌も外してすっ裸の行進訓練をするとか
・一列に並ばされて勃起を命じられ、砲身磨きを強要された
・発射訓練と称して班員全体が上官の号令に合わせて一斉に射精できるまで訓練される
など次々と衝撃的な話を知り、そのたびに信じられない思いでたまらなく興奮したものでした。

 30年前にはまだ、実際に軍隊でそれらの強制露出、強制射精を実体験した人も40,50歳代で元気でした。その種の男性雑誌の交際欄に体験談を聞きたいと呼びかけて、返事のあった年配の方と逢ったり、また手紙で色々と経験談を聞きました。軍隊は女のいない男だけの世界でしたので、女の代用としての男色がよく行われていたことも体験者から聞きました。しかし代用でない本気の男色の割合は少なかったようでした。

 面白いことに、M検の事を調べ始めて何年もした後、自分の祖父が軍医として何度もM検を行っていることが偶然に分かったのです。我が家は代々医者で、祖父も医者であったが、軍隊で軍医をしていた事まで知らなかった。
 それから祖父に、さりげなく軍隊の話を聞きM検や、月例検査の事を聞き出した。祖父から聞いた話はあまり興奮する程の内容ではなく、淡々と事実を話していただけだったが、文通相手から聞いた内容と祖父の話を照合すると、聞いたり、調べたりした話が軍隊では実際にあったのだと確信するようになった。砲身磨きも見かけたことがあると言っていた。こうして私は軍隊での性器露出や強制射精にますます興味を覚え、調べていきました。

 さて昭和20年まで、当時、日本男児と生まれたからには誰でも生殖器検査を受けた。戦前の日本男児とM検は切っても切れない関係で、最年少は逓信省航空乗員養成所の12歳である。12〜20歳の一番恥ずかしい年頃にM検が集中していた。陸軍幼年学校、陸軍士官学校、海軍兵学校、予科練、陸軍少年兵、海軍特年兵、満蒙開拓少年義勇兵、国民徴用令、徴兵検査、さらに軍需工場の少年工採用まで、実にさまざまなところで行なわれていた。
 中学生ともなればどの進路をとるにしてもM検の関門があった。軍関係の学校だけでなく、高校・大学入試もそうだし、上級生になると国民体力検査があった。
結局たいていの者が少なくとも年1回はM検を受けざるをえなかった。

 軍関係の学校は将来のエリートを約束されていたものだが、身体検査は少年といえども手ごころを加えることなかった。陸士、海兵などはすべての検査で初めからフリチンのブラブラにさせられ、「日本男児だ、堂々と歩け」とやられ、手で隠すことも禁じられたそうである。
 当時は人権など顧みられなかった時代である。褌であれパンツであれ、脱げと言われれば脱がなければならなかったのである。


 少年兵は高等小学校を出た14歳の少年が志願するのだが、彼らには羞恥拷問とも思える厳しい運命が待ち受けていたのである
 それはまず、採用時の身体検査に始まる。14歳の一番恥じらう年ごろの少年がすっ裸にされて徴兵検査と同じ厳しい生殖器検査を受けるのだ。徴兵検査を受ける20歳の壮丁でさえ羞恥で顔がほてるという性器を握られるM検を思春期の少年が受けるのである。当時の14歳は全般に発育が遅く、陰毛もようやく生えてきたか言う年頃である。また陰茎も包茎から露茎になる者が出始める頃である。硬く包まれたものを無理矢理、冠状溝までめくり上げられ、しごかれ、肛門まで押し広げて覗かれるである。陰毛が発毛し、性器の形状が包茎から露茎に大きく変化する、他人の性器との差異が気になる年代なのである。それだけに衆人監視のもと、全裸での性器検査は耐えられないほど恥ずかしかったであろう。しかしそれは避けられない通過儀式であった。
 さらに入隊してからも羞恥の儀式は続き、夜になると先輩達から採用時の身体検査以上に厳しく、かつ性的いたずらの性器検査をされるという。

 「海軍特別年少兵」という映画を見たことがある。14歳で志願した少年兵の物語である。男はみんな20歳になれば兵隊になるのだから、いまのうち兵隊になり、少しでも位が上になり親のめんどうもみたいと少年兵に志願したのだ。厳しい身体検査をされる場面もあった。M検を想像させる場面もあったが勿論、性器が映ることはなかった。
 そして入隊。日中は過酷な訓練があり、夜は兵舎の中で検査や教育訓練がある。しかし彼は要領が悪くヘマばかりやってしまう。そのたびに連帯責任で班全員がビンタとか制裁を受ける。ある日は彼の班だけ食事を許されず、それどころか、食卓を全員で頭の上まで持ち上げていなければならなかった。彼はそのたびに班全員から責められる。
 映画にはなかったが、もし銃の点検があればおそらく砲身磨きをさせられる班だ。そして彼は責任をとって一番最後まで砲身磨きを続けるのであろう。
 厳しい訓練が終わり、軍艦に乗っても尻を精神注入捧で殴られる毎日である。夜には上級兵の性の慰みものにされるのである。愛撫させられる位ならいいが女の代用として肛門に太いものを押し込まれたりする。涙をこらえて耐えるしかないと言う。

 このようなことは陸軍の少年兵も同じことである。軍隊は男だけの世界のである。上官には絶対服従である。これが少年兵に行われる男色の要因ともなった。少しでも早く出世するためにと、羞恥の儀式を耐えて少年兵になったのであるが、入隊後には更に過酷な体験が待っていたというわけである。

 なお、陸軍のエリートコースとしては陸軍幼年学校というのがあり、中学1年生または2年生が受験する。陸軍幼年学校に入ったという事は、その中学の大変な名誉だったそうで、成績の良い子は先生から受験するよう言われ願書を出す。
 しかし、軍関係の学校は例外なく身体検査時にM検がある。願書を出すと中学1年生でM検を受けることになる。落ちると、中2でもうl度受験する。
 軍関係の生殖器検査は徴兵検査と同じやり方で厳密に行われたから、思春期の敏感な性器には大変な刺激である。包皮を剥きあげ、まだ敏感な亀頭粘膜を強く握り擦られるのだから多数の者が検査中に勃起した。耐えられず射精してしまう者も10%位いたそうで、検査場には雑巾が用意されており、床をよごした者は自分で掃除させられるという。

 なお、昭和17年に石井磨という人が、中学生を中心とする3500人に性器調査の為のM検を行っている。その調査では発毛平均年齢は14.4歳であった。
14歳の少年兵受験者はまさに生えはじめの年ごろだったわけで、ジャングルもいれば発毛の兆しもない者もいたはずで、それは恥ずかしかったことだろう。

 最近では、岐阜県の高校で医師が春の健診の時パンツまで脱がせ、性器を検査して調べたと問題になったことがある。5人一組ではいり、一人ずつ皆の前でパンツを脱ぎ検査を受けたというが、先にやられる者も、順番を待つ者もたまらなかったことだろう。
男は大きい小さいだの、長い短いだの、皮がどうの、それになにより困るのは意志に反して勃起する恐れがあり、恥ずかしかった事であろう。しかし、これらはかつてM検に臨んだ多くの日本男児も耐え忍んだことなのだ。


 幼年学校のM検に立ち合った人の手記には次の様な状況が書かれている。

 性器検査では常に4,5人の受験者が順番に並び全裸のまま直立して前の者の検査を見せられる。時間内に素早く検査を終了させるためである。
 中1、2年で恥ずかしくてたまらない年ごろだ。検査を見せることで性器をいじられる覚悟をさせるのである。
 性器のあとは肛門検査だ。床に手形と足形が書いてあり、形に合わせて脚をピンと伸ばして股を広げ四つんばいになり、検査官の鼻先まで高く尻を突き出す。尻の割れ目から会陰、肛門から陰嚢の裏まですべてを露わにさらけだすと、検査官が肛門をグッと広げて検査する。
 無理矢理亀頭を剥き上げる陰茎検査、キンタマを握る陰嚢検査、太い肛門鏡を挿入される肛門検査。並んで順番を待ちながら、前の者が受けている検査のすべてを見せつけられる。見られる方はもちろん、次の者も「もうすぐ自分もあのように握られるのか」と思うとたまらない事だろう。なかには見ているうちに陰茎が勃起してしまう者もある。勃起状態でいじくり廻されて、奇妙な快感に耐えられず漏らしてしまう者もあったという。

 以上書いたように、かつての日本男児と「M検」は切っても切れない関係にあり、男と生まれたからには身体検査で性器の検査を受けることが常識だったのである。これは戦前に限った話ではなく、戦後数年たってからも警察や一部の会社の養成工採用試験では徴兵検査式のM検が行われていたようである。

 また、軍隊経験者を多く引き継いだ自衛隊では特に厳しく、入隊試験では昔の徴兵検査と全く同じ方法で戦後も長らく検査が行われていた。
 また入隊してからも、男は性器に羞恥心を持ってはならないと言う不文律があり、定期健康診断でも時々陰部検査が行われていた。更に、医学的資料の名目で自衛隊員を対象にして、生殖器の機能を調べる詳細な医学検査が行われたことがある。
 その時には数百人の規模で性器の寸法、形状測定や勃起能力、精液量などの生殖能力について細かく測定された。それは、泌尿器科助教授が統計資料を取るため、自衛隊員を対象に陰茎をはじめとする生殖器の計測(平常時、勃起時の色、形、角度、硬度)行い、また陰毛がいつ生えたとか、射精の頻度などの問診調査を行ったものである。
 体験者によると、この検査は名目上は強制ではないがとても断れる雰囲気でなく、嫌でも無理矢理パンツを取られ一列に並んで順番に生殖器検査を受けさせられたそうである。

 その体験者の話による検査は以下のような手順であったそうである。
 講堂が検査場に指定されていて、そこはカーテンで大きく3つに仕切られていた。まず脱衣所でパンツ一丁になりの仕切り進む。そこで学生の様な若い医者の前に座り問診、アンケートが行われる。それからパンツを脱いで平常時検査をされる。
 その次の仕切りの中が勃起準備室である。ここでは自分で刺激して勃起させる。完全勃起したと判断したら随時、医者のいる次の仕切りに入る。
 3番目の仕切りの中には年配の助教授と思われる医者がいて勃起時検査を受けた。

 平常時検査は、縦2列(検査官が2人)で仕切りはない。隣も丸見え。検査官の前でパンツを下ろす。ここで陰毛の発育状態(濃い薄い多い少ない)、包皮の状態(露茎、仮性包茎、真性包茎)、陰茎の計測(全体長・亀頭長・茎部径・亀頭部径・尿道口長)、睾丸(幅・長)などが計測される。

 勃起準備室は机椅子がありヌード写真集も置いてあった。各自、てんで好き勝手に扱いて勃起させる。なかなか勃起しない奴もいれば、平常時検査の触診ですでに勃起している奴もいた。

 勃起時検査室には若い医者と年配の医者の二人いて、勃起状態のタイミングをみて適宜、検査を受ける。検査内容は勃起時の包皮状態、勃起時陰茎の計測(全体長・亀頭長・茎部径・亀頭部径)、勃起角度(大体の角度で4分類)、勃起硬度(ゴムのサンプルの堅さと比較して分類)などが調べられた。最後にコンドームをして射精を行い、精液量を計測して解放されたという。


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