■ ぱくりのお気に入りお宝集 ■ ◆オリジナル作品シリーズ◆
 ミーさん作品 特別作品 ■ミーの半生記『第3章 禁断の性』(その4)                               Back Top Next

ミーの半生記】
先ず これは小説ではありません、私の歩いてきた半生の出来事を忠実に書き現したものです。
この体験記を投稿する気持ちになったのは、
私の露出趣味によるものですが、事実は小説よりも奇なりの言葉通りの性体験を何かに残したいとの思いが強く迷った挙げ句投稿するに至ったものです。
文中名前や場所は現実に存在するので仮名を使いました。どうかその辺の事情を察してお許し下さい。

『第3章 禁断の性』(その4)


(その4)

年が明けて、冬休みに下の甥を預かった頃のものです。
弟に、上の甥が高校に受かるまで下の甥を預けて欲しいと頼んだのは1月半ば頃でした。

その頃、私は甥に恋い焦がれていて、甥が側にいなくては寂しくて堪らなかった。
40代後半の、それも散々色々遊んで来た男が一人の少年に恋をしてしまった。恋いしくて恋しくて、なぜこんな事になってしまったんだろう…ダメだダメだといいきかせても、甥のニヤーと笑う淫乱顔を思い浮かべると、「もうどうなってもイイ」と矢も盾も堪らなくなった。

弟には、甥が兄弟一緒に居れば上の子が何かと精神的に集中出来ないだろうから、俺に下の子を預けろと強引にムリヤリと云う感じで預かった。
弟は、まさか私が甥の肉体欲しさとは思わなく、怪訝に思いながらも了承した。

3月。
下の甥が、
「叔父さん今日からずーと泊まれるよ」
と明るい元気な声でやってきた。

私が、
「オーこれからはいつも一緒やのー」
と答え、二人で顔を合わせてニヤーと笑った。

これだこれだ、この淫乱顔なんや。
両手で甥の顔に触れて、
「今晩からの 気持よーしょうの」
と覗き込むようにして囁いた。
コクリと頷き、再びニヤーとした。
この顔が堪らない。

勃起したチンポがビクビクと動く、甥を抱きしめ股間に押し当てた。
私の股間にも、甥の堅いものを感じ、腰を強く引きつけると腹にビクッビクッと脈打つそれを強く意識した。

久し振りに風呂で見る甥のチンポは、青筋も浮き出て、震いつきたくなるほど変貌している。
湯舟に立たせ、そそり立つチンポをユックリとズルズルと銜えていった。
甥が小震いしながら、
「叔父さん好きだ」
と呻きのような声と同時に両手で頭を掻きむしる。
私の頭が白くはじけた。

夢中で吸い立てる。
「あっあっそんなにしたら」
の悲鳴声を無視して、激しくストロークさせて、これ以上は吸えないと思うほど吸い込んだ。
ついに甥が、
「ワッワッウワワ」
と叫んで噴射した。 

力一杯腰を引きつけ、喉奥にこれでもかと深くくわえ込み、噴射を受け止めた。
食道を流れてゆく精液を感じながら、ブルブル震える尻に夢中で指を突き立てていた。
甥の声にならない声を聞きながら、
「これからはいつでもヤレるんだ」
と繰り返し心で叫んだ。

夜が来た。
二つのフアンヒーターでがんがんに部屋を温めたので、素っ裸でも暑い。
その中で、私、妻と甥が汗まみれで絡みあっている。
もう1時間以上経過していた。
甥はすでに3回射出し力を出し尽くそうとしていた。

3人は変態体位で蠢いている。
妻が四つ這いになり、後ろからおおい被さって私が妻のアナルにチンポを填め込んで上下に腰を使っている。
(私のチンポと金玉を同時に締め付けリングで固定させていた)
その後ろから、甥が妻のオメコと私のアナルを交互に填めながら犯し続けている。
(昔鶯の谷渡りと云われた変則体位だ。本来は女が重なり男がうしろから重なっているオメコを交互に犯す3P体位を取っているのです。私が妻のアナルに入れているので締め付けリングで金玉が垂れて妻のオメコに入れにくくならないようにしたのです)

甥のチンポが妻のオメコに入っている時は、その存在感が良く分かった。甥のチンポが長いのでどうにか可能となっている。甥が私のアナルを責める時は、私の腰の律動は当然のように静止する。
すでに30分以上かかって責められている。
チンポとアナル、アナルとオメコ両方からくる快感に酔い痴れていた。

甥がどちらで気がイクか分からない。
甥の動きで射精が近いのがわかったが、どちらなんだろう?
急速に高まっていく射精感の中、甥がオメコに放出した。
それを感じて、私もしたたか妻のアナルに噴射していた。

私と妻と甥との同棲生活がはじまった。
私も妻も仕事を持っているので昼間は甥の顔が見れない。仕事の合間合間には必ず甥のことを思い浮かべた。
甥は昼間は小倉の塾に通い、私が仕事を終え帰宅すると「お帰り」と迎えてくれた。
その顔を見ると仕事の疲れがいっぺんで吹っ飛んだ。

風呂は必ず一緒に入り、チンポを尺八するのが日課になっていた。
甥のエキスを飲んで若返る感じがした。
夜はその日その日の雰囲気で淫乱プレーを展開した。

3月に上の子の高校入試合格の知らせが入った。
4月から新学級がはじまる。
甥を返さなくてはならない。そう思うと心が沈んだ。
その所為か夜のプレーもしつこくなっていった。


これは3月21日の日記からです。

風呂に一緒に入り甥の身体を洗ってやりながら、
「4月になったら帰らないけんのー 返したくないんやけどのー」
と沈む心で云うと、甥も
「叔父さん 俺帰りたくない」
としがみついてきた。

急に突き上げるものがきて二人で激しく抱きあった。
甥の顔を舐め回し、口を激しく吸い、舌をこじいれて舌と舌を絡め合った。離れたくなかった。
私の膝の上に甥の身体を載せてディープキスをしている内に腹に甥の堅い熱い
チンポが感じられた、私も勃起して甥のアナル近くを突き上げた。

甥の柔らかな尻の感触が堪らなく気持がいい。その時、初めて甥のアナルに入れてみたいと思った。   
「〇〇〇よ 叔父さんお尻に入れたい 嫌かのー」と耳元で囁いた。
甥はちょっと考えていたが、こくりと頷いた。 

「初め痛いけど我慢せーの」
と云って、甥の身体を倒してそのまま両足を広げた。
近くにあった妻のクリームを甥のアナルに塗り込んだ。
指を少し挿入すると「あっあっ」と声をだした。 

さらにクリームを指につけ、再びアナルに挿入した。
半ばまで入れると「うーん」と顔をしかめる。
ゆっくり指を出し入れする。
甥が懸命に堪えている、その顔がたまらなくいい。

暫くして苦悶の表情が消えた。時々指をキュッと締め付ける。その感触がイイ。
馴染みだしたのでさらに中指をユックリと入れた。少し顔を歪めたが直ぐに慣れたようだ。
2本の指で出し入れを繰り返した。甥が気持良くなったのか、低く呻きだした。
もう指の根本まで入れている。
「クチャクチャ」音を立てて出し入れした。
呻きも強くなりだした。
私は左手の指でクリームをすくいビンビンになっているチンポにクリームを塗りたくった。

左手でチンポの根本を掴み、甥のアナルに当てると、右手の指をズルズルと抜きだし、アナルを押し広げチンポをググーと押し込んだ。
甥が「ウッウッウー」と再び苦悶の表情をした。
「我慢やど 我慢やど」
声をかけてさらに強く押し入れ、ついに根本まで填め込んだ。
アナルが強くチンポを締め付ける。
そのままジットしていたら少しづつ苦悶の表情が消えていった。  

ついに甥と繋がった。
腰を動かさず甥に覆い被さりデイープキスをした。
長いキスをしながらやっとユックリ腰を律動した。
甥のアナルが熱いくらいに感じる。
グイグイと締め付ける。
気持がイイ。
アーいい。
キスをしながら私も甥もくぐもった呻き声を出した。
気が遠くなるようにボーとなった。

腰を強く動かすと、甥のチンポが腹と腹の間で擦れて大きくなってきた。
やがて堅く熱く感じるまで膨れたのが分かった。
キスしているのでくぐもった呻きが漏れ私の頭を痺れさせる。

一声「ウーン」と大きく唸りチンポがビクッビクッビクビクと動き腹と腹の間に噴射した。
ギューとアナルが締まり、激しく締め付ける中で、私も大きな声を上げ甥の中に注ぎこんでいた。

その夜の甥は執拗だった。
妻の蜜壺に二人がかりで何度も同時挿入で入れたがった。
蜜壺の中で擦れあうチンポの感触を欲しがった。
連続で射精して私の金玉へオメコからあふれ出た精液が流れ落ちベッタリと濡らしている。
とうとう妻が悲鳴のような声を上げ失神した。

妻から離れても私のアナルを欲しがった。
甥にバックから犯されながら、やがての別れを思い、
「〇〇〇よ 気の済むまでヤレよ 〇〇〇〇 〇〇〇」
と甥の名前を呼び続けた。


「禁断の性」最後の話となりました。

4月に入って、甥が実家に帰り、再び土曜日度に泊まりに来るようになったある日。
妻が身体の変調を訴えてきた。激しいプレーに抵抗するようにもなり、なんとなく投げやりな態度をするのです。
残すところ後数日で4月も終わるという日に、妻が私にそっと打ち明けた。

前日に内科に診察に行ったら産婦人科に行くよう指示され、産婦人科で妊娠を告げられたとのことだった。
妊娠3ケ月。
ということは1月に受胎したことになるのか?

私とは20年以上も一度も妊娠などしなかったから、これは絶対に甥の子供と確信した。
あれほど沢山の男とセックスしても妻は妊娠しなかったので予想も出来なかった。
私は迷った。産ませようか、堕胎させようか。 
甥には妊娠のことは知られたくなかった。
まだ、なんといっても中学生の子供だ。ショックの大きさが想像できたので本当に苦慮した。

妻と二人で考えて考えた末、堕胎の方法を選択した。
一方で、長年子供を欲して出来なかったので、自分の子供として生ませて育ててみたい誘惑もあった。特に妻は産みたがった。
私としても、甥の淫乱な血を受けた子供に、思い切り淫蕩の限りを仕込みたいと、強烈な気持を捨て切れなくて悶々の日々が過ぎて行った。
結局、高齢出産の危険と産み育てていく責任を考えると自信なく堕胎の道を選んだ。

5月初めの土曜日に甥がやってきた。
その晩、妻の蜜壺にブルブルと身体を震わせて3度目の射精をするのを見届けて、私は甥に話しだした。
甥には妊娠を伏せて、妻が子宮が悪くなって入院しなければならない、暫くオメコできないから我慢してくれ、その替わり叔父さんがしてやるからと誤魔化して、なんとか聞き分けさせた。

翌週の月曜日に堕胎の手術を受け、翌月6月に再び3人プレーが行なえるようになったが、その間、若い甥の性のはけぐちを一人で必死で受け止めた。
女の蜜壺の凄さ偉大さを思い知らされた事件でした。


     終





【後書き】

唐突な終わり方になりましたが、私としては この辺が潮時かと思います。
甥との関係は7月半ばまで続きました。
妻の妊娠中絶後の体調不良もありましたが、やはり甥の高校受験が大きなネックとなっていました。

甥としても友人が着々と受験のための体制を準備していることに焦りを感じているようで、特に夏期講座を目前に私としても何とかしなければならない状態だった。

7月に入り、断腸の思いで決心し、妻を交えて甥とじっくり話し合い、終止符を打ちました。
甥も当然そうだったと思うが、実際に夏休みに入っても甥が来ないと分かると、その寂しさは心底堪えた。 
辛く悲しかった。強いて自分自身に終わったんだと言い聞かせたが、甥の方が私よりも数倍辛かったと思っている。

それ以来、今日まで甥には一度も当時の気持ちを聞くことはなかったが、どうだったのだろうか。

今年、母の1周期の折り、十数年振りに甥と風呂に入った。
二人の男の子の父親となった甥の裸は、眩しく素晴らしかった。
背中を流してもらいながら、とりとめない会話をした。 

私がそうだったように、お互いの心の中では複雑な感情が交差していた。
甥の指の動きがそれを物語っていた。

秘密の出来事は、死ぬまで秘密にしようよと云っているように感じた。
上の甥も二人の女の子の父親となっているが、現在関東に住んでいて滅多に会えなくなっている。母の1周忌にも来れなかったが、元気にしているので安心はしている。

一年間に亘って連載してきました「ミーの半生記」でしたが、文の拙さ、表現力のしさ等で私の気持ちを十分に著すことができませんでした。
「ミーの半生記」は実体験を忠実に日記に書留め、その中から抜粋したものです。
子供の頃より何時とはなく日記を書く習慣を身につけ、46歳まで続けてきた日誌でした。

余談になりますが。
46歳でそれまで書き続けていた日誌を中断する訳ですが、それは私が転落事故による大怪我をしたことによります。後遺症から重度身体障害者となって、日記はおろか日常生活にも支障をきたす有様で、以後現在まで日誌は書いておりません。

最後になりましたが、私の露出願望から投稿したくだらない体験談に最後までお付き合い下さいました皆様方には本当に有り難う御座いました。

    完




 ミーさん作品 特別作品 ■ミーの半生記『第3章 禁断の性』(その4)                             Back Top Next
■ ぱくりのお気に入りお宝集 ■ ◆オリジナル作品シリーズ◆
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送