■ ぱくりのお気に入りお宝集 ■ ◆オリジナル作品シリーズ◆
大きな先輩小さな後輩(5)
アライグマさん 投稿日:2003/11/12(Wed) 00:01    Back Top Next


「大きな先輩小さな後輩」 第5部

 激しく妬いた忘年会から、季節は一巡しようとしていた。
 春雨は五月雨へ、五月雨は時雨へと、その姿を変えたとしても、俺の先輩に対する想いは決して移ろいゆくことはなかった。先輩と離れたくない気持ちを、そのまま代弁しているかの様な空模様で、その日は朝からずっと雨が降り続いていた。
 とうに日が暮れてしまった今では、霙(みぞれ)が混じっているのかもしれない。
 一本の傘で、一端の男二人を守るにはあまりにも心許なくて、時折、冷たい雨が針の様に頬を突く。

 俺が先輩の存在に気がついたのは、駅の改札を抜けた時。厳寒を運ぶ風に身を纏われ、拡散していた意識も否応なしに焦点を結ぶ。千鳥足で足元がおぼつかない俺を、毅先輩が隣でしっかりと支えていてくれた。
 凍てついた外気が、街路を歩む二人の体温を奪ってゆく。俺の住むアパートの陰影を目にする頃には、俺の酔いもすっかり醒めていた。
 −先輩、俺もう、大丈夫っすよ。
 先輩の負担を考えれば、そんな言葉が喉を突いて出る筈だった。けれど、その晩、俺は口をつぐんでいた。先輩との間に生まれる温もりを、勝手気ままな北風が奪い去ろうとする。俺はそれを頑なに拒んでいた。
 今日は、俺の送別会だった。もう職場で、先輩と顔を合わすことがない。意気消沈した気分をかき消すように、俺は酒を進め、そして早々と酒に飲まれた。
 そんな俺を、毅先輩は最後まで面倒を見てくれた。
 俺は先輩の肩を借りながら、安普請のアパートの鉄階段をゆっくりと登っていった。
 
 かじかんだ手で上着のポケットを探り、鍵を取り出すと、先輩が玄関のドアノブに手を掛ける。上がり口を抜け、6畳間に続くガラス格子扉を開けると、先輩は俺を抱えたまま、部屋の照明とファンヒーターのスイッチを入れる。
 親元を離れ、一身の事を全て自分で賄うようになった今だからこそ、先輩の些細な挙動1つ1つに気を奪われる。こうして他人に世話を焼かれることは、随分と久しぶりのような気がした。テレビとコンポと、暖房器具。寝具とその上に散らばる数冊の漫画雑誌。それと、色褪せた畳の和室には似つかわしくない、壁に掛かった1000ピースのジグソーパズル。必要最低限の生活品で構成された室内はどこか閑散としていて、ヒーターを一晩中つけて置いても、部屋が完全に暖まりきることはなかった。
 けれど、今日はその閑散とした室内に人がいる。世話をしてくれる人がいる。先輩の一挙手一投足。俺の心と身体は、それだけで充分に暖まりきっていた。

 先輩は俺を万年床の上に連れてゆくと、ゆっくりと膝を曲げる。俺が先輩にしなだれかかるように体重を預けると、俺と先輩は煎餅布団の上に一緒になって尻餅をついた。部屋中に“ドスン”と鈍い音が響く。
 「ふぅ。耕太、お前、結構重いんだなぁ」
 崩れ落ちた拍子で、俺は先輩の胸元に顔を預けていた。呼吸を整える先輩の熱い息が、俺のうなじに規則的に降りかかる。
 「先輩、ごめんね。俺、迷惑ばかり掛けてるっすね・・・」
 俺はゆっくりと先輩を見上げながら呟いた。そこに気怠そうな抑揚を含ませたのは、少しでも先輩と長くいたいと願う、大根役者のささやかな抵抗だった。恋人同士でしか、なしえない先輩との距離に、脈の律動が次第に速さを増してゆく。
 「ほんと、身の丈を知らんやっちゃなぁ。酒も仕事も程々にせんとな」
 柔和な表情をした先輩の言葉に、俺は何度も浅く頷いていた。

 −そうなんだ。少しばかり、無理をしたばっかりに・・・。
 
 つい一ヶ月程前まで、俺は入院生活を送っていた。
 事の発端は、今年の夏。まとまった梅雨のお陰か、早朝から蝉時雨が飛び交う季節にもなると、田一面には青田がひしめき合う様に生い茂っていた。得意先へ向かうトラックの中から臨んだ、鮮明な緑が風にそよいでグラデーションを描く様を、俺は今でもよく覚えている。
 得意先の酒屋に到着した俺は、多様の酒類が堆く積まれた倉庫から、清酒や焼酎の一升瓶、瓶ビール、ボトルキープに使う各種小瓶を迅速に搬出していった。そして、ビールサーバ用の生樽を最後に積み終えた俺は、トラックの荷台から飛び降り、注文書と相違がないかを酒屋の店主に確認すると、運転席に乗り込こんでセルモーターを回す。普段の段取りでいけば、そのまま配送先の店舗に向かう筈が、その日は腰部の激痛に堪えながら営業所へ舞い戻る事になってしまった。
 注文書を片手にトラックの荷台から飛び降りた瞬間、腰骨に竹槍を突き刺されたような痛みを受け、俺はそのまま地面に膝を預ける形になったんだ。腰を上げようとする度に鋭い痛みが腰部を襲い、立ち上がることさえ容易には出来なかった。俺は店主の助けを借りながら、ゆっくりと体勢を立て直すと、営業所に無線で一報をいれた。
 痛みを必死に堪えながら営業所に辿り着いた俺は、車両助役に仕事継続不可の旨を伝え、その日の俺の担当を引き継ぐ同僚に一言詫びを入れ、そのまま自宅近くの接骨院に向かった。

 恐らく急性腰痛症だと、俺の腰痛に至った経緯を聞き終えた院長はそう診断を下した。
 「筋肉も十分弛緩していない時に、急激に負担を掛けたから、きっと魔女に一撃されたんだろう。一週間は腰に絶対負担を掛けない様に安静にしていなさい」
 そう穏やかに語る院長の言葉に、俺は妙に納得してしまった。確かにその日の俺は、許容範囲を超える仕事の仕方をしていた節がある。ろくに台車も使わずに、大瓶の詰まったビールケースを2ダース抱えながら、倉庫と荷台の間を獅子奮迅の如く走り回っていた。前夜にも見た、人の感情を弄ぶかの様な夢の末路に気分が晴れず、半ばやけっぱちになって仕事に当たっていたんだ。
 接骨院で電気の施術を受けた翌日には、腰の痛みも随分と緩和していた。俺は院長の声に耳を傾けず、怪我をした日を含めて4日目には職場に復帰していた。腰骨にキリをねじ込まれるような痛みに、しばしば顔をゆがめる事もあったけど、俺は一過性のものだとたかをくくって仕事を続けていた。けれど、それが災いしたのか、3週間ほど経ったある朝、床から起きあがろうとした俺は、想像を絶する様な痛みに思わず悲鳴をあげてしまったんだ。
 結局、俺は院長の勧めで、設備の整った整形外科の紹介を受け、そこで精密検査を受けることになった。

 「ここの骨と、ここの骨の間に挟まれているのを椎間板と言うのですが、ここの部分。ここが若干、右側にはみ出しているのが分かりますか?」
 恰幅の良い年端を重ねた医師は、俺のMRIの写真を掲げ、順を追って説明を始めた。
 「痛みの原因は、この椎間板が腰椎から突出してしまって、隣の神経を圧迫してしまう事からくるんですよ」
 確かに写真を見ると、首から均等に続く背骨の影が、腰のやや上部にきて、その序列を乱している。医師は左右の握り拳を二つに重ねて、それを俺の患部に見立てながら、尚も病状について懇切丁寧に説明を続けていた。椎間板の損傷いかんにより、治療の仕方が異なる事や、その状態を把握する為に、さらに詳しい検査を受けなければならない事。そしてその為には、入院が必要だと、最後の最後で引導を渡されてしまった。
 医師から告げられた病名は、俺が四半世紀を生きてきた中で、何度も耳にした事のあるものだった。誰もが容易く掛かりうる疾病は、広く一般に認知されている。それに加え、治癒が困難、或いは重い症状に悩まされる病名も同じように耳に残るものだと言うことを、約一ヶ月半に渡る入院生活で、俺は辛辣に思い知らされる事になった。
 「しっかりと養生して、これからは腰に負担のかからない様にしないとな」
 コルセットを付け、ベットで横になっていた不格好な俺を、先輩は何度か見舞いに来てくれた。
 無精髭を生やした毅先輩はどこか野暮ったくて、見た目だけで言えば粗暴な印象を与えかねない。荒々しく頑健な雰囲気を放つ先輩に、俺は初めてあったその日に心を奪われた。でも、もし先輩が見てくれに沿うままの、横暴で粗野な性格の持ち主だったのなら、俺はここまで気持ちを引きずる事もなかったのかもしれない。俺が困った時に見せる、先輩の温情のこもった態度は、寂寥感という副作用を伴いながらも、俺の逆立つ気持ちを優しく撫で癒してくれた。
「耕太はまだまだ若いから、いくらでもつぶしがきく。何をするにしても身体が資本だから、大切にせんと」


 「ほんと、身の丈を知らんやっちゃなぁ。酒も仕事も程々にせんとな」
 見舞いに訪れてくれた時の視線と同じだった。酔いつぶれ、先輩にしなだれかかっている俺に対し、先輩の温かな眼差しが降り注ぐ。
 医師からは、今の仕事は続けない方がよいと言われていた。先輩からの「年いくと、辞めたくても辞められないから」なんていう転職を促す言葉も、入院中の俺にはそれほど実感がわかなかった。けれど、いよいよ送別会が終わった今では、先輩の同じ言葉に思わず涙腺が緩みそうになる。こみ上げてくる感情が、具現化してしまわないように、そして先輩に悟られないように、俺はそっと瞼を閉じた。
 「耕太って、結構マメな所あるんだな」
 先輩の問いかけに、俺は再び瞼を開く。昂る気持ちを押さえきる間もなく、視界が僅かに霞む中で、先輩は壁に掛かったジグソーパズルを眺めていた。


[453へのレス] 無題 投稿者:アライグマ 投稿日:11/12-00:05
前回の投稿から時間が空いてしまい、申し訳ありませんでした。m(_ _)mパコリ いやしかし、今回は特に説明文ぽいかな^^; 次回が最終章になる予定です。
[453へのレス]
無題 投稿者:hightea 投稿日:11/14-03:18
細やかな文章ですね。なぜかな‥ハイライン(SF作家)思い出しました。
[453へのレス]
無題 投稿者:三太郎 投稿日:1/12-20:47
 お〜〜〜い、アライグマや〜い。 早う、冬眠から醒めてや〜。 もう少しで、結末なんやろ? 待ってるんだよ〜。 この恋物語の大団円。 いくら、男日照りだからって、いつまでも拗ねてるんじゃないの。 今に始まった事じゃないんだから。 ハハハ。  それとも、新しい恋人が出来て、忙しい? そんな訳、ないよなあ。
[453へのレス]
無題 投稿者:アライグマ 投稿日:1/17-02:17
諸事情により、会社で寝泊まりする事が多くなりました。故に物語が思うように進行してません。な〜んて、言い訳は通用しませんね。会社で書けばいいから。あ〜、会社の先輩とイイ関係になりたい^^;




アライグマさん 投稿日:2003/11/12(Wed) 00:01      Back Top Next
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