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美容師の技 第3部(終)
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美容師の技 第3部(終)

 帰り道、車内のバックミラーは景色を映すこともなく、その角度を大きく曲げていた。信号待ち、あるいは渋滞で車を止める度に、俺は鏡の中の自分をじっと見つめていた。
 いつもは刈りあげのあとに、ヒョイっと剃刀で水平に揃えられてしまう俺のびん。童顔の顔をさらに幼く際だたせてしまう。でも今日は違った。鼻下あたりの高さまでグラデーションをかけて伸ばされている。もみあげという程のしつこさはなく、それでいて男らしさを醸し出している。ゲイの心理を知り尽くしているからこそ出来る親父の技なのかもしれない。
 今、鏡に映る自称イケている男を誰かに見てもらいたい。心がうずうずしていたと同時に、何も知らない子があの親父のサービスを受けたら暫くは病みつきになってしまうだろうという回想で、再び俺の股間もざわめきだしていた。そんな下心が向かわせた先は、昨夜の飲み屋だった。

 時刻はまもなく8時に差し掛かる所だった。席を一つ置いた客の会話が聞き取れなくなる程の喧噪に包まれるにはまだ早すぎる。
 「いらっしゃーーい。あら、シンちゃん?いい男になったわねぇ」
 お通しを準備する手を止めたマスターが俺の顔をみる。期待通りの言葉に気を良くして店内を見渡すと、すでに先客が二人いた。一人は眼鏡を掛けたチェックのシャツが良く似合う、なかなかいい男。そしてもう一人は、最高の男。一度心を動かされた男の顔を忘れる筈がない。坊主頭の彼が昨夜と同じ席についていた。
 俺は席を一つ隔てて彼の隣の席へ腰をおろした。今日は思い切ってヘネシーでも入れようか。差詰め高給を取っているわけでもない。いつもの安い焼酎で十分酔えるが、今日は贅沢に酔いたい……そんな気分だった。
 マスターに濃い目の水割りを頼むと、俺はお通しのチーズクラッカーを口へ運んだ。
 「シンちゃん。ほんと、久しぶりよねぇ。でも、昨日は大変だったわね」
 ―カチッ。
 ボトルを開ける音がかすかに聞こえた。
 「昨日、シンちゃんの隣にいた親父いたでしょう?噂では聞いていたんだけどねぇ。昨日、遂にうちに来たのよ」
 褐色の液体がコースターに置かれた。水面を飛び出した角氷はいつもより鋭角に見える。マスターの俺に同情するような態度を見て、今日の出来事とは直接関係ないだろうと思った。
 「噂話?どんな?」
 「口説き文句が変わってるらしいの。狙った男の痒いところを巧く突くような話をするそうよ。それも、その話っていうのは全部自分ででっち上げた話っていうじゃない」
 眼鏡を掛けた男は興味深げにマスターの口元を見ていた。
 どこに嘘があるのだろう?俺はマスターの話の続きを待っていた。
 そして最年少の坊主頭の子が口を開いた。
 「ママ、昨日、僕もその親父にじっと見つめられていたよ。席が隣じゃなくてよかったー」
 男の子はクスクスと笑っていた。
 「あんたなんてすぐ引っ掛かりそうね。シンちゃんも騙されないように気をつけなきゃ駄目よっ。失礼だけど、あの親父って全然もてそうもないじゃない。でも、実際に何人も若い男を喰っちゃっているらしいのよ。この世界で生き残る為にあの親父が編み出した処世術かしらね。私もこの先、何か身につけないといけないわねー。あはははは」
狭い店内に鳴り響くマスターの笑い声は、どんなに度の効いた酒でもかなわないだろうと思った。瞬間的に紅に染まってゆく俺の顔。

―マスター、この酒は結構きついねぇ。

 そう心で叫びながら、差し出されたグラスを一気に傾け、本日2回目の責任転嫁を試みた。


―終―



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