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美容師の技 第1部
  アライグマさん 作者による加筆・修正版   Back Top Next



美容師の技 第1部 

「美容師の技」

 「でもなぁ、毎年楽しみな時期でもあるんだよ」
2月に誕生日を迎えるその男は40代最後の年をまもなく越す所だと、怪訝な表情と何かを期待した含み笑いで、実に複雑な面持ちで俺にそう話しかけてきた。


 仕事で多忙な生活を送っていたせいもあって、久しく飲み屋には顔を出していなかった。ボーナス商戦とお歳暮の時期が重なる師走になると、とある百貨店の営業主任をしている俺は毎年決まって休日返上で動き回らなければならない。それを見越して先日、一足先に連休をもらい、久しぶりに行きつけだった飲み屋に顔を出した。
 下は20代前半から、上は60手前までと幅広いお客の層を持っているその店は、連休前の金曜日という事もあり、こぢんまりとした店の作りながらも、かなりの賑わいを見せていた。カウンター席しかなく、10名も入れば満席になってしまうのだけれど、マスターが洋楽好きで、店内にはいつも落ち着いたBGMが流れ、大方の飲み屋に置いてあるカラオケがその店にはなかったので、ゆっくりと話が出来る雰囲気が気に入って、いつの間にか俺にとって唯一腰を落ち着かせることの出来るお店になっていた。

 「いらっしゃーーい、あらー、シンちゃん久しぶりじゃなーい」
 三十路を通過した辺りから、公私ともに忙しくなり、ここ2年程、お店には顔を出していなかった。久しぶりで顔なじみがいなかったら・・・という一種の孤独感を味わいたくないという思いも、扉を開けてマスターの大きな声で出迎えられる事で、その気持ちもすーっと消えていった。
 扇状に広がるカウンター席は真ん中の席を残し、偶然にもその席を境に20代、30代の盛り真っ直中の世代と、40代、50代の成熟しきった落ち着きのある世代に分かれていた。俺はマスターに案内されるまま、1つだけ空いていた席に座りながらも、カウンター左手から右手へと年を増していっている他のお客を見て、今の自分にはこの席がぴったりだなと、なんともいえない不思議な感覚を抱いていた。
 2年という月日のせいなのか、たまたまその日だけなのかは分からないけれど、他のお客の中に顔なじみの人はいない。男日照りが続いているけれど、目をぎらつかせる事で欲望丸出しな自分を他のお客に悟られる事が嫌だったので、さりげなく初めて見る面々を物色する。
 自分以外に9人いるお客の中で、一番左端に座る、おそらく最年少であろう20代前半の男の子に俺の目線が何度も何度も奪われる。基本的には年上好きなのだけれど、体型と顔に重点を置く俺に、坊主で丸顔の彼が年を超越して好印象を与えてくれる。
 開店以来、デブ専をうたってきているお店だけに、他の客層もがっちりやぽっちゃり、中年層にいたってはふくよかな体型のお客が多数をしめていた。

 「シンちゃん、しばらく見ないうちにまた太ったんじゃない?」
 初対面の人に何を話そうかと思い悩んで、ショットで頼んだ焼酎の水割りのグラスを傾けている俺にマスターが声を掛けてくれた。
 学生の頃、水泳部に所属していた俺は、なかなか贅肉に恵まれなく、嗜好が太めであるがゆえに、自分も太りたいという願望が常にあった。世間では男女共にダイエットブームというのに、知人から時折、「太った?」と声を掛けられる度に、満身の笑顔で「そうかな?」と答える俺は、端から見れば少し変わり者に映っていたのかもしれない。
 連日の残業でかき込む様に胃に飯を流し込み、翌日の仕事の為にすぐに床に着くという生活習慣が多少の贅肉をつける結果になったのかな?と思いながらも、心をくすぐるマスターの言葉に気分をよくしていた。今では、その部活で培った骨格に、程良く肉が付いてくれたお陰で、この店の席に座る姿もそれなりに様になっているはず。
 「でも、このままだとお腹ばかりが大きく膨らんじゃいそう」
お腹が異様に出っ張った、会社役員に比率が高そうな中年のイメージがふいに浮かびあがり、俺はマスターにそう返した。

 「俺の様になるなよ・・・」
 マスターの返事よりも先に、俺の右隣に座っている男の野太い声が聞こえてきた。店に入って間もなく、一通りの顔ぶれをチェック済みである。確かにがたいの良さでは一目置く男だったけれども、俺のテリトリーとはかけ離れた男であることは、一瞬目に飛び込んできた横顔だけで判断できた。失礼な話だけれど。
 俺はその野太い声に反応し、右隣に座るがたいの良い男と正面切って顔を合わせた。案の定、俺の理想と対極をなす様な顔立ちをしている。目線を下に移せば、冬の装いでさえも隠しきれないほど、腹の出っ張りが目立つ。
 俺の、重役クラスの脂ギッシュなイメージを意識した発言に、もしかしたら隣の男が気分を害しているのではないかと、俺は助けを求めるようにマスターに目線を移した。
 「適度に運動しなさいよ」
マスターはたった一言返事をくれると、他の客の相手をする為か、気まずくなったこの雰囲気から逃れる為か、この場を少し離れて他の客の談笑に交わっていった。
 普段なら、
 「そうよー、こんなんになっちゃったら、男も寄りつかないからね」
といった感じの、鋭い突っ込みで定評のマスターが、当たり障りのない言葉で交わす所に、隣の男はこの店の常連ではなく、まだマスターに馴染みがない新顔だということが分かる。

 結局、マスターの心浮かれる問いかけが切っ掛けで、隣に座る男と会話をする羽目になってしまった。禿げ上がった額の、油分を多く含ませた汗に店内の照明が力無く反射していた。それが実年齢に5歳程、老けさせて見させる演出になっている事に、その男は気づいていないのだろう。普遍的な親父のイメージから脱し切れていない彼の風貌は、どうしても俺は好感を持つことが出来なかった。ただ、その親父の人一倍分厚い唇だけは、妙にエロチックで、親父が言葉を発する度に注視してしまう。
 相手との距離を計りながら続く会話。時間と酒で次第に緊張がほぐれだした頃、彼のその分厚い唇から、思いも寄らぬ話が飛び出してきたのだった。

 「うちの店にも新しいお客様が増える時期なんだ」
 ピーンと空気を張りつめさせている糸を、春の風が一本一本解きほどいてゆく頃。就職に進学にと行く末が決まって、あとは卒業式を待つだけだという心軽やかな高校生。
 毎年、この時期になると決まって何人かの新顔が親父の店に顔を出すらしい。
 「お店を始めて20年になるけど、年々、男のお客が増えていくんだ」
 親父は美容院を経営しているという。確かに数年前から美容室が至るところで開店し、TVドラマやお互いの腕を競い合うという番組まで作られる程ブームになっている。右にならえという大多数に合わせる風潮は影を潜め、多種多様の感性が重視されるようになった昨今では、刈り上げ、アイロンパーマ、スポーツ刈りなど、ある程度型の決まった理髪店だけでは顧客の要望を満たしきれないのであろう。そう思いつつ俺は親父の話を聞いていた。

 「高校を卒業するまでは床屋に通って、その後うちの様な美容院に来る子が大半なんだよ」
 最初は物恥ずかしいそうな顔で、髪型を聞いてもうまく伝えられない子が多いらしい。割と女の子の方が、はっきりと芸能人の名前を使ってイメージを伝えてくれるけれど、男の子は照れ屋な子が多いと話は続いた。
 「でもそういう姿が可愛くて、なおかつ僕の好みに合ってしまうとなぁ。ついついサービス精神が旺盛になってしまうんだぁ。おじさんの悲しいサガかなぁ」
両目を垂らして笑う顔は、まさにスケベ親父そのものだった。
 「どんな風にサービス過剰になるんですか?カット料金をまけてあげるとか?」
内心、まさかとは思いつつも、心の何処かに期待をのせて親父の返事を待っていた。
 「高校位の時って、経験ある子はそりゃぁ数こなしてるみたいだけど、ない子は全くないんだね。そういう子はなんだか可哀相で、サービスしてあげなくちゃって思ってしまうんだ...あ、ごめんごめん。サービスしてあげるっていうのは建前か・・」
親父の目尻はさらに下がっていた。
 「もちろん、好みの子全員にサービスするわけじゃないよ。2,3回来店してもらって、その子の性格を掴んでね。この子なら喜んでくれそうだなって子だけにしてあげる。また来てもらいたいし、そうでもしなきゃ、お客の獲得競争に勝てないからね」
 なにが、獲得競争だ。自分の欲望を満たす為だけじゃないのか?と簡単に想像できてしまう。わざと建前を入れてきて、俺にほくそ笑みを浮かばせる親父の話術に、自分でも単純だと思いながらも引き込まれていった。
 「そのサービスは評判いいんですか?」
 「月に一度しか来なかった子も、2、3度足を運んでくれるようになるよ。みんな結構気に入ってくれているみたいだよ」
 親父の抽象的な言い回しに、俺は痺れを切らしていた。俺の想像が正しければ、座学で知識を詰め込んだだけの学生に、この親父は身をもって体験させる実習の先生の役割を担っているのだろう。想像が膨らむのと比例するように、カウンターの下の俺の股間も膨らんでゆく。
 ―どんなサービスをしているの?
 と聞けばすぐ済む事だった。けれど万が一、俺の助平な妄想と親父のサービスが一致していなければ、官能小説でしか読んだことのないような話を、今ここで実体験として聞いて期待一杯に膨らんだ胸と股間は一気にしぼんでしまうのだろう。俺はそれが怖くて、親父からの言葉を待つに他ならなかった。

 「あの隅に座っている子いるだろう?」
 下がりきったスケベ親父の目尻。その中の瞳には隣の男と楽しそうに喋っている彼の姿が小さく映し出されていた。左から右へと世代が上がってゆくように座る男たち。一番左に座る彼はまだデビューしたての様な初々しさを持っていた。恵まれた骨格に、程良く肉をつけ、ぽっちゃりとした丸顔には坊主頭がよく似合う。面食いな俺に一目置かせた彼の姿を、身も心も熟し切っている親父の目が確実に捕らえていた。
 「あの子も美容院にくるのはうちが初めてだったんだ」
 愛くるしく笑う年下の彼の姿に、少なからずも恋心を抱き始めていた俺の心に、親父の言葉が突き刺さる。親父の言葉一つ一つに敏感になっている俺は、あくまで自分勝手な妄想とわかっていながら、瞬時にその情景を思い浮かべてしまうのだった。

 体格の良さからいけば、柔道部なのかもしれない。同じ部友たちとは、行く先々の戦場で嬉し涙、くやし涙を流しあったのだろう。部活一本やりでも、充実した青春時代を謳歌していた。発育する体にはやはり逆らえず、異性にも強い関心を抱く様になった彼は、高校卒業を転機に床屋から美容院へと足を切り替える。初めての美容院に戸惑う彼を、あの親父は言葉巧みに諭したのだろう。きっとあの親父のお持てなしを受けているに違いないのだ。もしかしたら、親父のいうサービスが切っ掛けで、この世界に興味を抱いてしまったのだろうか?いや、もともと彼はゲイだと自覚していて、このお店で親父と知り合い、その弾みで親父の店に顔を出したのかもしれない。

 親父の言葉よりも、俺の想像が先行してゆく。好意的に親父の話に耳を傾けていた俺の感情も、次第に恋人を寝取られてしまったかのような嫉妬へと変化してゆく。けれど、やはりここは男の悲しいサガなのかな・・・目の前にいる理想の男とその親父の情事が頭の中を駆けめぐって、俺の股間はより一層固さを増していった。
 親父は俺があの子に目をつけていた事を知っていたのだろうか?次の言葉も発せず、人の感情の起伏を楽しむかのようないやらしい眼差しを感じた俺は、自ら話題を転換させたのだった。ごくありふれた世間話が続く。けれど、あの親父の話の続きが気になって、会話もどこか上の空だった俺は、親父の言うがままに相槌を打っていたのだろう。今、思い返してみても、何を話していたか思い出せないのだから。

 入れ立ち替わる客の動向にも気付かず、周りを見渡した時には俺と親父以外、すべての客が入れ替わっていた。グラスに手を掛ける暇もなく、親父の話に熱中していた俺は、1ショットで長時間居座ってしまった事を申し訳なく思いながらもチェックを済ます。手元のグラスに目をやれば、僅かに残る氷はこうして見ている内にも、その姿全てをアルコールに託してしまいそうだった。
 「また飲みましょう」
 親父の仕掛けが巧く施された釣り針で、見事に心を捕らえられてしまった俺は、本心からそう伝えた。見てくれも話題も俺の興味をそそらなければ、同じ言葉でも社交辞令で終わっていたのだろう。親父にも俺の好意的な態度が伝わったのか、別れ際に一枚の紙切れを渡してくれた。黒い台紙に、銀の文字で書かれたお店の名前。お洒落で小綺麗な印象を抱かせるその名刺から、いったいどれだけの人が親父の顔を連想できるのだろうかと思った。正直、きっといないだろうと思った。


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